日本人ランナーよ なぜにそこまでスニーカーにこだわる?

日本人ランナーよ
なぜにそこまでスニーカーにこだわる?

〜開発者TENのコラム〜

日本人ランナーよ なぜにそこまでスニーカーにこだわる?

スニーカーは、西洋の風土に生きる西洋人が、物質経済発展至上主義の時代の西洋人の文化の中で、西洋人の思考で、西洋人の身体に合わせて開発した履き物です。

様々な国の様々なスタイルを体験する事は、柔軟な考え方や柔軟な身体の使い方が出来る人間になる上で、とても望ましい事ですが、

スニーカーで走る事、スニーカーで運動する事が日本人の当たり前になってしまうと、

日本の風土に合わせて作られた日本の道具で、
生活したり運動するからこそ育まれる身体の使い方や考え方や文化や教育やスポーツまでが西洋風に染まってしまい、

実質的な日本の身体性や思考性は民間人からは失われて行き、一部の芸能関係者によって伝統芸能としてカタチだけが残って行く事となります。

例えば、

地面がアスファルトで硬かったり、
地面が不整地で凸凹だからと言って、

スニーカーという道具によって衝撃を吸収したり凸凹を相殺して、自分にとって危険で不都合なものを無いものにしてしまう考え方をする時点で、既にスニーカー開発当時の西洋人の考え方に染まっている証拠です。

本来の日本人の考え方は、大地の衝撃や凸凹を利用する事(調和する事)で自分の足や身体を活かし、自分が大地を利用した事で結果的に大地をも活かす。

大地に活かされ生きる事で、大地を活かす。

自分都合で相手を無きものにしたりカタチを変えてしまうのではなく、距離を空けたり、引いたり押したり、柔軟に自分と対象物のバランスを取る事で、全体の調和を図る為の道具を創る、そんな考え方の文化だったはずです。

皆様は「修験道」をご存知でしょうか?

1400年の歴史のある日本独自の山岳宗教です。

八百万の神、大自然との調和、神仏習合を基本理念に、時代の変化に合わせて様々な価値観や文化を一つに統合して体系化された、人としての「道」を体験的に感得する事を旨とする学問です。

修験道で修行をする人達の事を山伏と言います。

明治政府の修験道弾圧政策で禁止となった当時の日本には17万人(現在の人口に換算すると60万人。当時の日本の総人口は3300万人。)の山伏がおり、大自然を御神体とする神社仏閣や山々を歩いて参拝する風習は、文化として一般市民の生活に当たり前に根付いていました。

修験道は、人としての一つの考え方、人が歩むべき道の一つの辿り方を人々に示す学問ですので、何も出家をして修験道の山伏にならなければ道を辿れないわけではありません。

修験道に限らずとも、全ての学問は、物事の考え方や捉え方の違いであり、道の辿り方の違いであって、今どの道を歩いていようとも、全ての道は根本(本質)で一つに繋がっています。

今どこの世界に携わっていようとも、本質を目指しさえすれば、この瞬間からも道を歩き出せるのです。

明治政府の神仏分離令で民間人の文化から修験道は失われたとて、

それまでの日本人の思考性と身体性が育んだ歴史と文化の道筋までを失う必要はありません。

今は、統合の時代。
リアルな体験も擬似体験も、
あらゆる体験が可能な時代。

あらゆる体験を統合する事で
多角的で多元的な人間へと成長できます。

スニーカーで走ったり生活してみて西洋人の価値観や考え方や生活感を体験したからこそ、今度は日本人の身体の使い方や考え方に客観的に気づく事ができ、

改めて今の自分に体験を統合して行く事が出来る素晴らしい時代なのです。

足袋や草鞋や下駄で生活したり、運動してみよう。
そして、西洋の素晴らしいスポーツ科学も、日本の素晴らしい叡智も統合された新時代の一本歯下駄、
【ippon blade】で、歩いてみよう、走ってみよう。

カタチや素材は時代に合わせて現代風に変わっていても、大切なのは、その構造。

全ての人間の身体と考え方に調和するフィボナッチ黄金比や大和比で設計されたippon blade。

私は思うのです。

もし、この勤勉で努力家の日本人ランナー達の全員が、

ランニングはスニーカーと思い込んでしまっている真面目で勤勉な日本人ランナー達の全員が、

スニーカーだけではなく、

当たり前のように足袋や草鞋や一本歯下駄などの日本古来の構造の履き物を履いて走っていたら、と。

もし、スポーツを愛する日本人の皆さんが、結果を求めて利便性や効率性を重んじるだけでなく、

結果が出るまでの「道を辿るプロセス」を当たり前のように重んじて、

非効率と思えるような遊びやスポーツをもっと楽しんでいたなら、

日本のスポーツ社会は、今頃どのようになっていたのだろうか、と。

現代日本人のほとんどが西洋のスニーカーで走る事で、次第に失われて行くかもしれない日本人の身体性と思考性。

スニーカーで走るランナーの皆さん。

なぜにそこまでスニーカーにこだわるのでしょうか?

誰の為に何の為にスニーカーで走るのでしょうか?

皆さんは、走る事で、後世に、若者達に、何を遺そうとしているのでしょうか?

「昔のネイティブ日本人はこうだったよ」と、過去の写真と文献だけを残したい?

未来の子供達にどんな道を進んでもらいたいのでしょうか?

本質へと繋がる自分の道の進み方を、私たち大人達が先んじて体現で示して行きましょうよ!

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