ippon blade開発者TENのコラム
「なぜそんな一本歯の高下駄で走るのですか?」
「転んだら危ないじゃないですか」
ippon bladeでマラソン大会に出場していると、他の出場者から必ず浴びせられる質問の一つです。
これまでも、度々ブログに書いてきたテーマです。
健康にいいから!楽しいから!は当たり前の事です。
そして、ippon bladeは見た目の派手さほどの危険はありません。
ippon blade以外にも、危険が伴うスポーツは他にもたくさんありますし、自転車や自動車、登山はもちろん、街でのお散歩にしたって、常に危険と隣り合わせです。
スニーカーで走っていたって、転ぶ人もいれば、熱中症や心筋梗塞などで死んでしまう人すらいます。
危険を避けたいなら、そもそもスポーツなどしなければいい。
それなのになぜあなたは、危険が伴うスポーツをするのですか?
満足する結果や達成感を得る為だけですか?
結果を得るだけでなく、
そのゴールに向かうプロセスから、
「人生とは何か」
「人生で大切な何か」に気づきたい、
人生の意味を見出したい、
自分の人生を、立体的で、色濃くて、豊かな、
「リアルな人生」にしたいからでしょう?
だからあなたも、色々な「体験」をしたがるのでしょう?
それなのに、一本歯下駄を見慣れていないだけで、
「なんでそんな事を?」と聞いてきます。
日本の習い事やお稽古事には、「道」がつきます。
柔道、弓道、空手道、華道、茶道、修験道。
これらには競技性もありますが、
何分、何キロ、何点、競技の結果を出すことが主たる目的ではありません。
種目はキッカケ、
つまり、道への入り口(門)でしかありません。
出来るようになるまでのプロセス(体験)から、
この世を成り立たせている摂理や道理、
つまり「結果として目に見えないけど、結果を成り立たせている大事な事」に気づく事が主たる目的なのです。
だから、結果を出すには非効率と思えるような事に、挑むのです。
僕は、日本の皆さんに逆に聞きたいです。
「なんで、わざわざスニーカーで走るの?スピードは速いかもしれないけど、遠回りなのに。」と。
僕は思うのです。
もし、この勤勉で努力家の日本人ランナー達の全員が、
ランニングはスニーカーと思い込んでしまっている真面目で勤勉な日本人ランナー達の全員が、
スニーカーだけではなく、
当たり前のように足袋や草鞋や一本歯下駄などの日本古来の構造の履き物を履いて走っていたら、と。
もし、スポーツを愛する日本人の皆さんが、結果を求めて利便性や効率性を重んじるだけでなく、
結果が出るまでの「道を辿るプロセス」を当たり前のように重んじて、
非効率と思えるような遊びやスポーツをもっと楽しんでいたなら、
日本のスポーツ社会は、今頃どのようになっていたのだろうか、と。
今からでも遅くはなく、履き物が変わり、脳や身体のベクトルが変われば、日本の教育は、自然界と調和する道へと方向が、自然に変わって行くだろうと。
日本の風土に生きる人が、スニーカーを履いて日本を走っても、いくら走れども走れども、どこにも辿り着きません。
自己満足の結果の世界で完結し、過去にも未来にも繋がらないのです。
日本の風土に生きる人が、日本の風土に調和するように作られた履き物を履くからこそ、日本の歴史文化と自然界の本質に辿り着き、
生命の輝きという本質ありきの社会を未来へと繋げられると思うのです。
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