目次
•序章|目に見えない“軸”が人生を変える
•第1章|重心とアーチと人間本来のバランス機構
•第2章|直立二足歩行と接地の自由性
•第3章|外力と内力の化学反応が動きを生み出す
•第4章|一貫性の心理と、身体の自由性の回復
•第5章|人間の本質とニュートラルな自分への回帰
•第6章|原始反射の目覚めと、自己表現としての動き
•第7章|骨盤の角度と三つの姿勢タイプ——中庸体という在り方
•第8章|ナンバ的動作とippon bladeによる身体の再構築
•第9章|動作の原理原則と、現代における“型”の再定義
•第10章|遊びと揺らぎが教えてくれる、人間らしいバランスの智慧
•結章|ippon bladeという道——動きの中に、自分を取り戻す
•あとがき|「一本歯」に込めた、わたしのすべて
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ippon blade®︎論考|第1章 重心とアーチと人間本来のバランス機構
人は、どのようにして立ち、歩き、走っているのでしょうか。
一見当たり前のように思える日常の動作ですが、その背後には、目には見えない重心の動きと、足裏のアーチによる繊細な支えのしくみがあります。意識していなくとも、私たちの身体は、無意識のうちに「倒れないための仕組み」を常に働かせているのです。
まず、重心とは、物体のバランスが釣り合うポイントのことを指します。シーソーであれば支点となる中央の部分、振り子であれば吊るされている支柱がその例です。人の身体でいう重心とは、全身の各パーツの「重さの中心」にあたります。
身体を大きく三つに分けると、骨盤(両脚を含む)、胴体(両腕を含む)、頭部となります。それぞれの重心は、臍下(へその下)、鳩尾(みぞおち)、眉間に存在します。この三つの重心を一直線に結んだ線が「重心線」または「重心軸」と呼ばれます。
この重心軸が地面に接する点を「重心落下点」と呼びます。人の身体を横から見たとき、重心軸はこめかみ、肩、大転子(太ももの付け根)、そして足根骨を通って地面へと落ちていきます。
足根骨とは、足の甲の最上部を形成している骨の集まりであり、足裏アーチの「天井」にあたる重要な構造です。この足根骨が、重心を支えるための中心点となります。
重心が安定しているかどうかは、私たちが立っているときの「支持基底面」によって左右されます。これは、物体がバランスを保つために必要な接地面積のことです。四つ足なら四肢で囲まれた面積、二足歩行では両足で囲まれた面積、片足立ちであれば一足分の面積がそれにあたります。
そしてこの支持基底面の中心が「圧中心点」です。重心落下点と圧中心点が一致していればしているほど、身体はまっすぐに、自然に立つことができます。逆に、重心が支持基底面の外に大きく外れると、身体は傾き、やがて倒れていきます。
しかし、各パーツの重心が動いても、全体の重心軸が支持基底面から外れなければ、身体は倒れません。これが、人間が不安定な状況でも動ける理由です。
足は、母指球、小指球、踵という三点でアーチを形成しています。このアーチが、足の縦方向と横方向に張られており、私たちの体重を全体として支える重要な構造となっています。
この三点アーチの中心もまた、足根骨です。身体を横から見たときの重心軸を、この足根骨に一致させることで、重心が三点アーチ全体に平均的にかかり、アーチ本来の機能が働き始めます。
アーチの働きには、主に二つの重要な機構があります。一つは「トラス機構」と呼ばれ、重力に対して身体を持ち上げようとする仕組みです。もう一つは「ウィンドラス機構」と呼ばれ、重心を常に支持基底面の内に保とうとする調整機構です。
足根部にはショパール関節やリスフラン関節といった細かな関節があり、これらが微細に動くことで、前後左右の加重バランスが常に調整されています。
重心軸が三点アーチの中心と一致すると、骨盤が前傾したまま固まったり、後傾したまま崩れたりすることなく、前後左右に柔軟に動きながらも、自然と中心に戻れる「ニュートラルな骨盤の位置」が生まれます。
このニュートラルを保つために、私たちの身体には「負帰還回路(ネガティブフィードバックループ)」と呼ばれる恒常性維持機能、すなわち「ホメオスタシス」が備わっています。
たとえば、自律神経の交感・副交感のバランス、血圧や血糖値の調整、筋肉が伸びると縮もうとする「伸張反射」なども、すべてこの恒常性維持の働きの一部です。トラス機構もウィンドラス機構も、いずれもこの原理に基づいています。
重心が片側に傾いたとき、その方向とは逆の力が自動的に働き、姿勢を元に戻そうとします。これにより、私たちは無意識のうちにも、極端な偏りを避け、全体のバランスを整えることができているのです。
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重心のブレが大きくなるほど、それを戻すためには大きな反動とエネルギーが必要となります。転倒を防ぐために無意識に地面を踏ん張る力が働き、そのぶん身体に余計な緊張が生まれてしまいます。
このようなブレを最小限に抑えるためには、重心軸を根元から支える「インナーマッスル」が重要な役割を果たします。特に大切なのが、大腰筋です。大腰筋は、骨盤の重心と胴体の重心を繋ぎ、下半身と上半身を結ぶ橋のような働きを担っています。
この大腰筋は、常に一定の方向で働いているわけではなく、伸びたり縮んだり、緊張と弛緩を繰り返しながら、身体全体のバランスをしなやかに保ち続けています。骨盤の前傾・後傾、胸郭の伸び縮み、股関節から膝の抜き上げ、さらには求心性(「抜き」)と遠心性(「伸展」)の動きも、大腰筋が司る中心的な働きの一つです。
そもそも、「歩く」という動作そのものが、片足立ちの連続による「重心の移動」に他なりません。繰り出した足の支持基底面に対して、身体の重心軸を乗せ続けることで、移動が成立しているのです。
日本の伝統的な摺り足の歩行は、この重心の移動を最小限の力で実現する、非常に洗練された動き方です。意識的に筋肉を強く使うのではなく、中庸を保ち、自然な揺らぎの中で重心軸を左右の二軸で平定させながら、滑らかに進んでいきます。
それに対して、現代的な「モデル歩き」や「スポーツ的ウォーキング」では、左右軸を大きく動かしながら、筋肉の伸張反射を活用して全身を連動させていく、いわば野性的でダイナミックな歩き方となっています。
どちらが正しいかという議論ではなく、どちらも原理を理解したうえで、シチュエーションや目的に応じて自然に使い分けられる身体性こそが、望ましい在り方なのです。
足の接地についても、しばしば「フォアフット(母指球)」「ヒールコンタクト(踵)」「ミッドフット(足裏中央)」のどれが正しいのかといった議論がされますが、これも同様です。大切なのは、どの部分から接地したとしても、重心をしっかりと乗せ、アーチの機能を活かしているかどうかです。
そしてそのためには、まず「足根部=三点アーチの中心」に重心軸を合わせることが必要です。
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第1章(後半)|骨盤を立てるとはどういうことか
重心軸を足根部に合わせることができたなら、次に大切になるのが「骨盤を立てる」ことです。
骨盤を立てるとは、坐骨をまっすぐに立てることと同義です。坐骨とは、座っているときに椅子の座面に触れている、お尻の左右にある骨のことを指します。この坐骨が床に対して垂直に立っていると、骨盤は自然にまっすぐに立ち、その上に上半身を無理なく積み上げることができます。
椅子に座っているときは、坐骨がそのまま重心を支える支点になります。そして立っているときも、地面に対して坐骨を垂直に向ける意識を持つことで、骨盤を真っ直ぐに立たせることが可能です。なお、このときに膝が曲がってしまうと、骨盤の傾きが崩れてしまうので注意が必要です。
骨盤は、左右の坐骨という二つの支点(ニ軸)で支えられており、それらのバランスが整って初めて、身体全体が自然に「筒」のようにまとまりを持って動くようになります。さらに、身体全体では、仙骨を中心とした「一軸」が通っており、この一軸を基準に二軸(左右の坐骨)を相対的に動かしていくことで、柔軟性と安定性を両立させた身体操作が可能になるのです。
たとえば四足歩行の動物には、「側対歩(同じ側の前脚と後ろ脚を同時に出す)」「斜対歩(対角の脚を出す)」といったパターンがあります。これを二足歩行の人間に置き換えるなら、側対歩はニ軸的、斜対歩は一軸的な身体の使い方と対応しています。
人間の場合、腕と脚の長さが違うため、完全な側対歩は不自然に見えるかもしれませんが、上半身の使い方としては、四足時代の前脚の使い方の延長にあることに変わりはありません。つまり、走り方・歩き方は、その人の目的や場面に応じて、自由に軸を使い分けられるものなのです。
江戸時代までの日本人の歩き方として知られる「なんば歩き」は、よく「片側の腕と足を同時に出す歩き方」と説明されます。この説は、浮世絵に描かれた歩行の姿を見た現代人が、その瞬間の構図から発想したと考えられています。
実際には、腕と脚が常に同時に出ていたわけではなく、自然に一軸と二軸を切り替えながら歩いていたと考えた方が、身体的にも理にかなっています。つまり「なんば」とは、身体を整え、無駄のない動きを目指す中で自然に現れた一つの身体技法であり、無理に再現しようとすれば不自然になってしまうのです。
現代人がこの「自然な動き」を忘れがちになる理由の一つに、「身体の軸」に対する感覚の喪失があります。
人間の身体には、支点となる骨や関節の数だけ重心が存在しており、それらを結ぶ線の数だけ「軸」があります。どれだけ繊細に、どれだけ深く、自分の身体の内部感覚にアクセスできるか。それが、軸を自在にコントロールし、無理のない動作を実現するための鍵なのです。
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第2章|直立二足歩行と接地の自由性
現代の人間の歩き方や走り方は、じつに多様です。これは、私たちが直立二足歩行という特異な進化を遂げた脊椎動物であることに深く関係しています。
動物たちはそれぞれの住環境に適応した骨格構造を持ち、限定的な接地パターンを採用しています。跳ねる、這う、よじ登る、這い進むなど、行動のバリエーションはあるものの、それぞれの動物にとって接地の仕方はほぼ固定されています。
しかし、人間だけは違います。
人間は、つま先からも踵からも、さらには足裏の真ん中からも接地できるように設計されているのです。これは直立二足歩行という運動様式によって、接地に「選択肢」が生まれた結果です。
たとえば母指球と小指球を結ぶラインでの接地、いわゆるフォアフット。あるいは踵から入るヒールコンタクト。三点アーチの中心である足根部から入るミッドフット。どれが正解ということではなく、それぞれに適したシチュエーションが存在します。
階段を駆け降りるときと、重い荷物を運ぶとき、跳び上がるときと、そっと歩きたいとき。それぞれの局面で、身体は自然と最も効率的な接地を選び取っています。人間は、「使い分けられる」ことが可能な唯一の種なのです。
「正解は一つではない」という柔軟性こそが、人間という存在の最大の強みであり、「どのように接地するか」よりも、「どのように重心を運ぶか」がより本質的な問いとなります。
重心軸の傾きによって、身体の運動方向(ベクトル)は自然と変化していきます。重心を前に傾ければ、加速。後ろに傾ければ減速。まっすぐであれば、静止や中立の状態。アクセル・ブレーキ・ニュートラルがすべて重心軸の傾きだけで制御できるというわけです。
逆に、重心のない「形」だけのフォームでは、いくら筋力があっても進みません。骨盤が抜けた状態、いわゆる反り腰や及び腰では、スピードが伸びず、無駄な力みが生まれ、動きが重たくなってしまいます。
直立とは、前傾と後傾の中間にあり、重力軸と身体の中心軸が合わさった姿勢です。その状態では、上から下に向かう重力と、下から上へと返ってくる床反力が一致し、身体の内外の力が釣り合います。
そしてこの釣り合いのとれた軸に、ほんのわずかな傾斜を与えるだけで、身体は自然と前に進み始めます。
その微細なバランスを体感できるのが、ippon bladeという一本歯下駄です。接地面が極端に小さく制限されているように見えますが、実際には足根部に正確に軸を乗せることによって、前後左右のあらゆる方向へ重心を運ぶ自由を獲得できるのです。
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第3章|外力と内力の化学反応が動きを生み出す
人間の動きは、外から加わる「外力」と、身体の内側で生まれる「内力」との相互作用によって成り立っています。これらが組み合わさることで、運動が起こり、方向が定まり、推進力が生まれます。
外力とは、重力や床反力、慣性力といった、身体の外側から加わる力のことです。たとえば上から下へと常に働いている重力。そして、それに対して地面が返してくる床反力。この両者は常に一対で存在しています。また、前方へ倒れ込むように身体が傾くときに発生する慣性力も、外力のひとつです。
一方、内力とは、人間の身体の中にある相互作用です。筋肉や腱、骨格同士の連動性、自律神経や呼吸、ホルモンなど、目に見えない反応もすべて内力の一部です。たとえば足のアーチが接地時にわずかに沈み、そこから反発して推進力へと転じていく「伸張反射」も、典型的な内力のはたらきです。
また、走る動作では、大腰筋が片脚を抜き上げる際には求心性(内に引き寄せる力)、反対の脚を伸ばす際には遠心性(外に伸ばす力)が同時に生じています。このように、身体内部の反作用や連動は、まさに精密な「自然の構造体」と言えるでしょう。
さらに、気温や湿度、風、路面の傾斜などの環境的な変化も外力に含まれます。それらに呼吸や姿勢、自律神経が反応し、内力もまた変化していきます。
運動とは、この外力と内力が常に化学反応を起こしている状態なのです。重力に逆らって動くのではなく、重力を受け入れ、それにどう反応するか。外からの力を受けたとき、身体が内側からどんな反応を返せるか。そこに“自然に調和した動き”が現れます。
言い換えれば、運動とは「自然摂理に対する知性的な応答」とも言えるのです。
このような視点で見たとき、「どこまでが外で、どこからが内なのか」という線引きも、相対的なものでしかありません。たとえば「自分以外はすべて外部」と捉える見方もあれば、「自分も他人も自然界もすべて同じ宇宙の内部」とする見方もあります。
大切なのは、どのような観点から世界を捉えるかによって、動き方も、力の使い方も、在り方そのものも変わってくるということです。
状況に応じて視点を切り替えること。焦点を絞ることもあれば、全体を俯瞰することもある。輪郭を曖昧にして、あえて半眼で捉えるような感覚も必要になります。
つまり、「決めつけないこと」が自由な運動の第一歩なのです。
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第4章|一貫性の心理と、身体の自由性の回復
私たち人間には、「自分で決めたことを貫きたくなる」という心の働きがあります。これを心理学では「一貫性の法則」と呼びます。
自分が選んだ方法、自分が信じた価値観、自分が習得した技術。それらを維持することで、自分のアイデンティティや心身の安定が保たれていると感じるのです。この一貫性の心理は、習慣を作るうえでは大きな力になりますし、継続力を支える源にもなります。
しかし、これが強くなりすぎると、かえって柔軟性を失い、変化や進化に対して閉ざされた状態になってしまいます。
自分が慣れ親しんだ方法論以外を「間違い」や「敵」と見なし、否定的に反応してしまう。そんな現象は、SNSなどを見ても日常的に起こっています。他者を否定することで、自分の一貫性を正当化しようとする無意識のはたらきです。
身体操作においても、この一貫性の心理は大きく影響しています。
スニーカーで育ち、スニーカーで運動してきた人にとっては、「運動=スニーカー」という考えが当然になっており、裸足や下駄、草鞋(わらじ)といった選択肢は「奇抜な代替手段」にしか見えなくなってしまうのです。
しかしそれは、身体の動かし方がスニーカーという「型」によって強く制限されているということに他なりません。筋肉の使い方、関節の可動域、接地の仕方、そして動作の反応スピードに至るまで、スニーカーという「道具」に身体が最適化されてしまっているのです。
一方で、日本の古典的な動き、たとえば摺り足やナンバのような型に偏りすぎても、現代のスポーツやファッション、文化には合わなくなってしまいます。
また、柔らかく伸ばす系の身体操作ばかりを身につけた人は、跳躍や加速などの動作が苦手になりがちですし、
同様に、筋肉を鍛えることを中心に運動している人は、脱力や持久といった対極の動作が苦手になる傾向があります。
つまり、一つの方向にばかり意識的な努力を続けすぎると、身体はその型に「ロック」されてしまい、他の可能性が閉じてしまうのです。
本来、人間には誰しもが共通して備えている「基本的な動作」があります。それは、道具や文化に縛られず、生きるために必要とされる最低限の動作群です。しかし現代の生活では、その基本さえ失われつつあるのが現状です。
過度に偏ったトレーニング、固定観念に縛られた指導、数字による評価や効率主義。これらが「本来の自由な身体操作」を忘れさせてしまっているのです。
だからこそ今、必要なのは、「型」を否定することではなく、自分にとって本当に無理のない型を見極め、環境に応じて自由に使い分けられる感覚の回復です。
もし一貫性を持つならば、それは「身体操作の方法論」にではなく、「ニュートラルな在り方」に一貫性を持ちたいのです。
自分の重心軸が整っていれば、どんなシチュエーションにも自然に順応できる。その状態こそが「本当の自由」であり、人間の動きにおける理想の姿だと私は考えています。
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第5章|人間の本質とニュートラルな自分への回帰
私たち人間は、一体何者なのでしょうか。
この問いは、哲学や宗教、科学や芸術、さまざまな領域で語られてきました。しかし身体の観点から見ると、人間とは「環境に応じて自分を変化させることができる存在」であり、「感覚と動きによって世界と関わる存在」だと言えるのではないでしょうか。
本質的には、私たちは人間である前に、動物であり、生物であり、そして生命エネルギーそのものです。
生命とは、未知なるものへの好奇心をエネルギーに変え、自らを環境に適応させて進化していく存在です。その過程で新しい自分を発見し、常に変化し続けていく。その柔軟性としなやかさこそが、私たちの本質です。
「自分とは何か」「自分の本質とは何か」と問うとき、多くの人は答えを探そうとします。でも本当は、何者にもなれるし、いつでも戻れるのが「自分」という存在の本質なのです。
「何者でもない」からこそ、何者にもなれる。
「いつでも戻れる」からこそ、どこへでも行ける。
そうした水のような、ニュートラルで自由な在り方が、人間の持つ本来のチカラです。
この「ニュートラルな在り方」を失うと、人は環境に振り回され、他人の評価に依存し、思考や身体が凝り固まっていきます。そして「こうでなければならない」という決めつけが、自分も他人も、社会全体の変化と成長を止めてしまうのです。
大切なのは、どの方法論が正しいかを競うことではありません。
大切なのは、自分の自然体=ニュートラルに立ち返れることです。そして、どんなシチュエーションにおいても、無理なく重心を移動させ、軸を整えながら、自分の力を適切に発揮できる身体であることです。
ippon bladeは、その「原点回帰」の感覚を体験として取り戻すためのツールです。
重力という自然の力を無理に抑え込むのではなく、正しく利用する。すると、自分の内側から自然に動きが引き出されてくる。決して「無理に動かす」のではなく、「動きたくなる身体」が育っていくのです。
固定観念や思い込みから解放されるとき、心と身体はニュートラルを取り戻します。
そのニュートラルな感覚こそが、自分という生き物の“本来の型”であり、“本来の在り方”なのです。
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第6章|原始反射の目覚めと、自己表現としての動き
人の身体には、生まれながらにして備わっている「原始反射」と呼ばれる機能があります。
これは言葉や思考ではなく、刺激に対して即座に反応する身体の自動調整機能です。
たとえば、赤ん坊が何かに触れたときに指が自然と握られるように。
転びそうになったときに、無意識に手や足が出るように。
これらはすべて、身体が本来持っている反射的な知恵によるものです。
ところが、現代社会ではこの原始反射が眠ったまま、あるいは機能しないまま成長してしまう人も少なくありません。なぜなら、日常生活の中で「正しい姿勢を作ろう」「綺麗に歩こう」「筋肉を意識しよう」といった意識的なコントロールが重視されすぎているからです。
本来、姿勢とは「作るもの」ではありません。
身体が感じ取り、無意識に整えていくものです。
ブレたら戻す。
伸びたら縮める。
満ちたら引く。
開いたら閉じる。
この自然なバランスの繰り返しによって、身体は常に中庸を保ち、調和の中で動き続けているのです。
ippon bladeは、こうした原始反射を優しく目覚めさせてくれる道具です。
一本歯の下駄という制限の中で動くことで、身体は無意識に「どうすれば倒れないか」を探りはじめます。その探索の中で、普段は使われない深層筋が働き始め、骨格同士が自然と連動し、足裏や骨盤の感覚が細やかに蘇っていきます。
そして、これまで“ブレた姿勢を無意識に補正するため”だけに使われていたポテンシャルは、軸を取り戻すことによって、「自己表現」や「パフォーマンス」のために使えるようになるのです。
つまり、重心軸を整えるということは、「防御」や「補正」のためだけでなく、「創造」や「表現」のためのチカラを自由に解放することでもあります。
前に進むために、力を込める必要はありません。
ニュートラルに立ち、重力と軸を合わせれば、身体は自然に進みたくなる方向へと導かれます。
ippon bladeを履いて立ってみてください。
その瞬間、あなたの身体はきっと思い出すはずです。
忘れていた“動きたくなる感覚”を。
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第7章|骨盤の角度と三つの姿勢タイプ——中庸体という在り方
姿勢とは、単に立ち方のことではありません。
それは、身体の各パーツがどのように関係し合い、どのようなバランスを取って存在しているかという「在り方」そのものです。
とりわけ重要なのが、骨盤の角度です。骨盤は身体の中心に位置し、上半身と下半身をつなぐ中継点です。この角度によって、筋肉の使われ方、呼吸の状態、神経系の働きにまで大きな違いが生まれます。
大きく分けると、姿勢は以下の三つのタイプに分類することができます。
①骨盤前傾タイプ
このタイプは、背中の伸筋群が優位に働き、遠心性(外に伸ばす)動作が中心となります。呼吸では吸気が強く、有酸素運動に適しています。姿勢は反り腰気味で、スピード感や開放感のある動きに向いています。
②骨盤後傾タイプ
こちらはお腹側の屈筋群が優位で、求心性(内に引き寄せる)動作が中心となります。呼気が深く、無酸素的な集中力に富み、内観的な動きや保持姿勢に向いています。猫背気味になりやすく、力を内に蓄えるような身体の使い方が特徴です。
③骨盤立位=中庸体
これは、前傾にも後傾にも偏らず、遠心性と求心性、伸筋と屈筋、表層筋と深層筋、遅筋と速筋の中間筋をバランスよく活かす姿勢です。吸気と呼気、緊張と弛緩、力と脱力を自在に切り替えることができる、「揺れながらも中心に戻る力」を持った在り方です。
この中庸体こそ、ippon bladeが目指す“軸の状態”です。
多くの人が「骨盤を立てる」という表現を聞くと、意識的に骨盤を動かそうとします。しかし、それでは腰やお腹の大きな筋肉群に過剰な力が入り、かえって不自然な動きになってしまいます。
正しい骨盤の立て方とは、「足裏三点アーチの中心に、重心軸を自然に合わせること」によって、結果的に骨盤が立ち上がる状態をつくることです。肚(はら)を縦に引き伸ばすように意識すれば、背筋が自然に整い、軸がまっすぐに立ち上がります。
そこから、足の圧中心点をつま先や踵に少しずつ動かすだけで、大腰筋をはじめとするインナーマッスルが主導となって、骨盤の傾きが自然に調整されます。無理に腰を反らせたり、丸めたりする必要はありません。
このように、軸と重心のバランスを繊細に感じ取りながら、自分にとって最適なポジションを保ち続けることで、身体は「形」ではなく「流れ」として動き始めます。
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第8章|ナンバ的動作とippon bladeによる身体の再構築
日本人の身体には、日本人独自の動き方が染みついています。
その代表的なものが「ナンバ」と呼ばれる身体操作です。
ナンバとは、現代的な歩行法とは異なり、片側の腕と脚が同時に前へ出るような動きと説明されることがありますが、実際にはもっと複雑で、繊細なバランス操作を伴う身体技法です。
ナンバ的動作では、重心軸が常に自分の内側にあり、左右の軸を無駄に交差させることなく、身体の内側で動きを完結させるような印象があります。これは、求心性の動作に優れ、静けさの中に力を宿す日本人の身体性に非常に適しているといえます。
事実、日本人は屈筋群が発達しており、内側に引き寄せる求心的な動きが得意です。加えて、遅筋が多く、持久性や有酸素的な動作にも優れています。つまり、日本人の身体は「ナンバ的な動き」と非常に相性が良い構造をしているのです。
ippon bladeは、このナンバ的身体性を現代に蘇らせるための「型の再構築ツール」と言えます。
接地面が極端に限定されているように見えて、実はその構造こそが、身体の中心軸とアーチの中心を一致させ、全身の連動性を呼び覚ます仕組みとなっているのです。
実際、ippon bladeを履くと、下駄歯が足裏の三点アーチの中心——すなわち足根部——に位置しているため、身体は無意識のうちにバランスの中心を捉えようとします。この時、前後左右どちらに傾いても、全身が自動的にそのズレを補正しようと働きます。
これがまさに、「軸を取り戻す」という体験です。
そして軸を取り戻した身体は、もはやブレを恐れません。なぜなら、どれだけ揺らいでも、また元に戻る力を思い出しているからです。
この状態にあるとき、重心の移動は「力を込めて動かすもの」ではなく、「自然に運ばれるもの」へと変化していきます。
ナンバ的な動きの真髄は、この「自然に運ばれる感覚」にこそあるのです。
つまり、「動かす」のではなく「動いてしまう」。
それを、コントロールするのではなく、受け入れる。
だからこそ、静かで、美しく、力強い。
そしてこの感覚は、走る・跳ぶ・投げる・舞う——どんな動作にも応用可能です。
ippon bladeで育まれる身体操作は、表現方法や文化背景を問わず、あらゆる動きの基盤となっていくのです。
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第9章|動作の原理原則と、現代における“型”の再定義
私たちが「型」という言葉を聞いたとき、多くの場合それは何かの「決まった形」や「伝統的な動き」を連想します。しかし、型とは本来、動きの本質を体系化した“自然法則の抽出”であり、単なる模倣や型通りの再現ではありません。
身体の構造に無理のないよう、運動エネルギーの流れに沿って動くために考案された「仕組み」が型であり、それに則ることで誰もが無理なく、自然に、力まずに動けるようになるのです。
私は、いわゆる武道やダンス、スポーツなどの伝統的な「型」を深く学んできたわけではありません。しかし、自分の人生経験と身体の感覚、そして無数の試行錯誤のなかで出会った“動きの気づき”によって、「自分の身体にとって本当に無理のない型とは何か?」という問いを、何度も突きつけられてきました。
結論として私がたどり着いたのは、「型にハマらないこと=自由」ではないということです。
動きの自由とは、運動の原理原則に則ってこそ得られるものです。
その原理を無視して好き勝手に動いてしまえば、やがて力は拮抗し、軸は乱れ、心身のエネルギーは浪費されてしまいます。
だからこそ必要なのが、「現代における型の再定義」です。
情報が溢れ、メソッドが乱立するこの時代に、私たちはどの型を選び、どの仕組みに従うのかを見極めなければなりません。どんなに伝統的で美しく見える型であっても、それが自分の身体構造に合っていなければ、歪みや偏りを生むことになります。
また、社会的な地位や評価を得るためだけに、自分にとって無理な型に自分をはめこもうとすることで、自律神経が乱れ、心も身体も壊れてしまう危険さえあるのです。
私自身、過去には「何者かになろう」と焦るあまり、社会的に正解とされる型に自分を当てはめようとし、心身のバランスを崩した経験があります。
けれどその経験があったからこそ、私は“自然の型”と出会うことができました。
それが、裸足で走り、一本歯下駄に出会い、自然摂理に沿って動く感覚を取り戻すというプロセスでした。
自然界には、無駄なものは何一つありません。
ippon bladeもまた、フィボナッチの黄金比や大和比といった自然の調和律に則って設計されています。
それは、人間の身体に負荷をかけることなく、自然に動きたくなる方向へと導く構造になっているのです。
つまりippon bladeは、「自然の型」を身体に思い出させてくれる装置であり、既存の型に対抗するものではなく、型そのものの“再定義”へとつながる存在なのです。
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第10章|遊びと揺らぎが教えてくれる、人間らしいバランスの智慧
私たちは、完璧であることを求めがちです。
真っ直ぐで、ブレなく、強く、美しく。
けれど、自然界において「完全に動かないもの」は存在しません。
すべては揺らぎの中にあります。
風も、水も、光も、命も、すべては微細な振動を伴いながら、絶えず変化し続けています。
人間の身体も同じです。
立っているときも、歩いているときも、走っているときも、静止しているように見えて実は常にわずかに揺れています。
この「揺れ」を許容すること。
この「遊び」の幅を知ること。
それが、真のバランス感覚を育てる鍵なのです。
「遊び」とは、制限された空間の中で自由を発揮できる可動域のこと。
たとえば、振り子が左右に揺れる範囲や、関節が安全に動かせる幅、またはルールがある中で自由に動けるスポーツのような領域も、すべて“遊び”です。
ippon bladeに立つと、まさにこの“遊び”が感覚として浮かび上がってきます。
ほんのわずかな重心のズレに対して、身体は即座に反応を返そうとします。その連続の中で、身体は揺らぎを学び、真ん中を探し、そしてまた揺れます。
こうして育まれた身体は、硬直することなく、暴走することもなく、常に「今、この瞬間」の最適なバランスを探し続けます。
それはまるで、水のように流動的で、形にとらわれず、あらゆる場に適応する力です。
私はこの「遊びの幅」を取り戻したことで、ようやく人生そのものが“遊び”であると感じられるようになりました。
無理をしすぎたら痛みが来る。
怠けすぎてもバランスが崩れる。
揺れすぎず、固まりすぎず、その間をゆらゆらと漂いながら、自分の軸に戻ってくる。
これこそが、「人間らしい動き」であり、「人間らしい生き方」なのだと、私は思います。
ippon bladeは、そのための“支点”を与えてくれます。
心身が過緊張に陥っても、軸さえ思い出せば戻ってこられる。
不安定な状況でも、重力に合わせて立てば、安定は内から湧いてくる。
力みも、踏ん張りも、無理も要らない。ただ、軸に乗るだけ。
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ippon bladeは、単なる一本歯の下駄ではありません。
それは、現代人が忘れてしまった「本来の身体性」を取り戻すための、一つの“道”なのです。
この身体で、どう生きていくか。
この地球で、どう遊んでいくか。
その答えを、足元から思い出させてくれる。
そう、あなたの足もとには、もう“道”が始まっているのです。
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結章|ippon bladeという道——動きの中に、自分を取り戻す
私たちは、あまりにも多くの「やり方」や「正解」に囲まれて生きています。
それは知識でもあり、情報でもあり、時に「制限」として働いてしまうこともあります。
「こう歩くべき」「こう走るべき」「こう立つべき」といった既成の型や指導法が、自分の身体の本来の声を覆い隠してしまうのです。
けれど、自分の軸に立ち戻ることができれば、方法論に縛られず、自分自身の「正解」を感覚として知ることができます。
ippon bladeは、そのための体験装置です。
ただ立つだけで、自分のブレが見えてくる。
ただ歩くだけで、自分の力の無駄が浮かび上がってくる。
ただ走るだけで、眠っていた筋肉や感覚が呼び覚まされる。
一本歯という、シンプルでストイックな構造だからこそ、足裏、骨盤、背骨、頭頂まで、重心と軸を繋げる意識が研ぎ澄まされていくのです。
思えば、かつて私がこの一本歯の道具に出会ったとき、それは単なる運動用具でも、民芸品でもありませんでした。
それは、どこか懐かしくて、けれどどこまでも新しい、自分の身体の声に耳を傾けさせてくれる“導き”そのものでした。
そして私は、そこから何度も転び、何度も立ち上がりながら、自分の身体と心に深く問い続けてきました。
これは本当に、自分の動きか?
これは本当に、自分の人生か?
ippon bladeは、動きの哲学であり、生き方のメタファーでもあります。
立つ、歩く、走る、止まる、揺らぐ、戻る——
その一つひとつの瞬間に、自分という生命のリアリティが立ち現れてくるのです。
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あとがき|「一本歯」に込めた、わたしのすべて
私は、誰かに教わってこの道を歩んだわけではありません。
裸足で走り、身体の声を聞き、時には立ち止まりながら、見えない何かに導かれるようにしてこの一本歯の下駄ippon blade®︎を開発し、仲間たちと共に活動を展開させてきました。
ippon bladeは、私自身の経験の結晶であり、祈りであり、願いでもあります。
誰もが、自分の重心に立ち返れるように。
誰もが、力まず、自然体で生きられるように。
誰もが、自分という存在を、動きの中で再発見できるように。
この小さな一本の歯が、地球の上に立つ人間の心と身体と魂を、まっすぐにつなぐ架け橋となることを願っています。
そしてもし、あなたがこれを通じて、自分の身体の声にふと耳を傾けるようになったとしたら——
その瞬間こそが、私がippon bladeに込めたすべての答えです。
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ippon blade®︎は、実用新案および特許取得済み。
文責:小平 天(こだいら てん)こと super teng man
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※合わせて読みたい:
古代の身体観と“天狗”の深層意識を通じて
ippon bladeの源流を読み解いた前作
『ippon blade®︎が導く身体と意識の変化』論文もぜひご一読ください。
一本の軸が導く身体と意識の変化